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海の向こうに釜山が
絶滅の危機に瀕するツシマヤマネコ
ツシマヤマネコを守る会の活動


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〒817-1603
長崎県対馬市上県町
佐護西里2619番地

ツシマヤマネコを守る会
事務局


海の向こうに釜山が
 おう、今日はよう見ゆんなー。
 此処は国境の島、対馬。視界の良い日は50キロ先に隣の国、韓国の町並みも見える。対馬は南北82㎞、東西18㎞の細長い島で、面積は佐渡、奄美大島に次ぐ日本で3番目に大きな島と言われる。全体の88%は山林で耕地面積の少ない島である。
 平成16年3月、6町が合併し対馬市となる。自分が住んでいる上県町は、対馬で2番目の面積になるが壱岐4町より広いと言えば、対馬の面積がわかりやすいかと思う。昭和35年、7万弱いた人口は過疎化が進み、平成21年7月現在36、000人と減り続けている。
 対馬は遠い昔、大陸とつながっていたことから、他では見られない大陸系の動植物が今も多く残されている。山も多いことから、冬になればオジロワシやオオワシも毎年越冬し、5月の野鳥の渡りには多くの野鳥が見られる。
 鹿児島県の出水に越冬するツルも、北帰行の途中、一夜の休息のため上県町佐護の田などに数百羽の群れで飛来する。動植物だけでなく大陸との交流もさかんに行われていたことから、貴重な文化財などが今も数多く残されている。
 
 



危機に瀕するツシマヤマネコ
ツシマヤマネコ
 島には、ツシマヤマネコと言う野生のヤマネコが生息している。数は少なく、とても警戒心の強い動物で、山仕事をする人達でさえめったに見かけることはない。
 遠い昔、対馬は朝鮮半島まで陸でつながっていたと言われ、その後、海面の上昇により高い地域だけがとり残され、対馬ができたと言われる。その頃から生息していたヤマネコが、1970年頃まで全島に生息していたが急速に減少し、今日では島の半分の面積にあたる下島では、ほとんど生息の確認ができない状態になっている。環境省は1994年3月「絶滅の恐れのある野生動植物の種の保存に関する法律」に基づく保護対象種(希少種)の指定一号に認定し、1998年にはレッドリストにおいて最も絶滅のおそれが高い種の一つ「絶滅危惧1A類」に指定した。ツシマヤマネコは、日本カワウソの次に絶滅に瀕した動物になっている。
御嶽山
 上県町の中央に、威風堂々とそびえる御嶽山。遠い昔から霊山として親しまれている。標高490mと対馬では、10番目になり高い山とは言えないが尾根は数キロも伸び、山としての風格は対馬一ではないだろうか。尾根には、地元でイケンダン「池の段」とよばれる場所があり雨上がりは池も見られる。
この山を中心に、上対馬町三宇田から南は峰町までツシマヤマネコが生息する。
ツシマヤマネコの特徴
 ヤマネコは胴長で短足、尾は太くて長く耳の裏には生まれた時からトラなどに見られる白い斑紋がある。眉間から頭の裏へ白い縦縞がある。生まれたばかりの子供でも一般のネコとはその違いがわかる。また、幼獣のころは耳先が普通のネコのようにとがっているが、成獣になるにつれ丸くなる。泣き声も個体差があるが一般の仔ネコとよく似ている。
 イエネコと同じくらいの大きさで、頭胴長60~65センチ、尾長25~35センチぐらいあるが、まだ大きなヤマネコも自分は見たことがある。
 夜行性と言われるが、人の気配のない場所では昼も徘徊している。餌は主にネズミ類を食べるが、鳥、魚、ヘビ、植物なども食べている。また胃腸の調整のためと考えられるが、稲科の植物を丸飲みにしているのが糞から見られる。餌を食べた後などは一般のネコのように丹念に顔もよく洗う。精悍で警戒心の強い動物である。
減少要因と考えられるもの
  対馬は全体の88%が山林で耕地面積が少なく、昔は殆どの山を開墾し、麦、イモ、ソバなど穀物を栽培していました。このためヤマネコの餌となる小動物も多く、畑の岸にはカヤネズミの巣も多く見られました。コウライキジも昭和45年頃までは多く、島外から多くのハンターも来ていました。その頃から日本の高度成長とともに耕作する人も少なくなり、餌の影響か猟師による乱獲かわからないが、コウライキジも少なくなり、対馬に来るハンターもいなくなった。耕作していた山は植林され、また広葉樹なども伐採し、国の補助などで山は人工林に変わりました。このためヤマネコの餌となる小動物も少なくなり減少したと考えられます。また道路などの開発で環境も大きく変わりました。島民は公共工事などで便利になりましたが、ツシマヤマネコにとっては環境などが変わり生息が厳しくなったと考えられます。
 平成14年は、ヤマネコの事故が最も多い年で、死んだり保護された事故が17件あり死んだのも8頭いましたが、人に保護されなければ死んでいたと思われる事故もありました。これらは、ほとんどが亜成獣(生まれて1年になっていないもの)ですが、事故の原因は餌と考えられます。その証拠に餌が少なくなる11月から事故が増え、殆どがひどく痩せています。特にメスの事故が多く11回ありますが、オスのようにパワーがなく餌を上手に捕れないのかも知れません。
 数ヶ月すると、仔ネコは親離れを強いられます。特に11月頃から餌も少なくなり、餌を求め徘徊しているうちに、これらの事故にあっていると考えられます。ヤマネコに限らず自然界に生息している動物は、親と一緒の時期は大事に護られますが、親と別れた数ヶ月は一番厳し危険な時期になります。このため餌の少ない冬場は、里に下りて鶏を襲うこともあります。
 環境問題だけを減少の対象に考えていましたが、環境庁で人工繁殖用に平成8年12月捕獲した雄のヤマネコから、ネコエイズに感染している事がわかりました。その後も平成12年12月、鶏小屋に入り保護した雄にも感染しているのが確認され、平成14年8月には雌のヤマネコにも感染したのが捕獲されています。
 イエネコなどの調査結果、エイズ等に感染した個体が予想以上に多い事もわかり、保護が益々難しくなっています。これらは本土から連れられて来た飼い猫から感染したと言われています。
保護するには
 イリオモテヤマネコの棲む、西表島の面積は85%が国有地になりますが、対馬は85%以上が民有地になります。また西表に比べる人口も多く、植林や林道などの開発も広い範囲で行われています。産業の少ない島では道路などの公共工事なども避けて通れません。
 自分が住んでいる近くの川には、昭和35年ごろまでカワウソが生息していたと聞いていますが、護岸工事などの影響で生息する巣穴が掘れなくなり絶滅に追いやられています。 ツシマヤマネコの住む場所は、まだありますが生息域は年々狭くなっています。このようなことから会では、平成15年から山奥の休耕地70アールを借り上げ耕作もしています。耕作して実った穀物、ソバや大豆などは収穫せず、そのまま残し小動物の餌にしています。カワウソのように絶滅させないためにも、生息場所でもある安住の地を、一日もはやく確保してやらなければいけないと模索しているところです。


ツシマヤマネコを守る会の活動
給餌活動
 数カ所で年間通じて給餌もしています。この内の一カ所では、結成した平成5年7月より平成18年までに45頭の仔ネコが餌場に来ています。これらは殆ど親離れしてから来ているようですが、皆成獣に育っています。別の給餌場所でも、このように仔ネコが確認されています。
 給餌ムービー(画像をクリックしてください)
動物たちの園事業
 平成15年6月に、休耕された農地70アールを借りあげ、ソバ作りをしました。収穫はせず年間通じて小動物が餌を食べられるようにしています。
 また、会では林業の方の山320ヘクタールの山林に、ヤマネコの巣箱なども設置させてもらっています。
普及啓発活動
 対馬のお年寄りでさえヤマネコを見た方は少なく、毎年ノラネコなどをヤマネコと勘違した連絡があります。この為に公民館や学校などで、写真やスライドを見せながら保護を伝えています。
 会では一人でも多くの仲間を増やし、保護の輪を広げていきたいと思っています。 賛同して頂ける方は入会をお願いします。
 入会については、「入会案内」のページをご覧ください。
ヤマネコ保護区の設置
 イリオモテヤマネコが生息する沖縄県西表島の面積の約9割が国有地であるのに対し、民有地が約9割を占める対馬では、社会経済の動向によって、ヤマネコの生息環境が開発されてしまう危険性が常につきまといます。つまり、ヤマネコの安定的な保護を図るためには、生息環境として重要なコアエリアだけでも取得しておく必要があります。
 そこで、当会では、ツシマヤマネコが将来にわたり、安心して暮らせる生息環境を確保するために、ヤマネコ保護区用地取得を進めています。 環境省が山林を取得するという動きは有りましたが、民間団体で土地を取得し保護区を設けることは初の試みです。 
 
2000~2005年、当会は民有林所有者の協力を得て独自に保護区を設置しました
生息状況調査
 警戒心の強いヤマネコの姿を確認することは不可能なため、ヤマネコの少ない地域の林道などに入り、糞などを探し痕跡調査もしています。


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