国指定記念物・史跡 清水山城跡(しみずやまじょうあと)
朝鮮との貿易は対馬を豊かにする大事なものでしたが戦国時代に入り、対馬は歴史的に有名な出来事により波乱が起きていました。
厳原町に残る清水山城跡は豊臣秀吉が朝鮮出兵の年に築いたといわれています。
信長の死後、全国を統一した豊臣秀吉は明遠征の準備を始めます。壱岐に勝本城、対馬に清水山城を築き対馬の宗氏を交渉人にし朝鮮に対して国内の通行と道案内を求めましたがその要求は受け入れられず秀吉は朝鮮制圧の為出兵を決行。対馬北部に陣を張り、藩主宗義智も先鋒として出陣することになりました。
総勢18000人が700隻の船団で朝鮮へと向かったのです。
これは冒頭で述べたように自分たちの経済を脅かすものであり対馬にとっては好ましくない状況でした。
秀吉に逆らえず命令に従った宗氏でしたが、結局この出兵は失敗に終わります。
それまでの朝鮮との交易独占してきた対馬には大打撃でありさらに働き盛りの男性が長い年月この戦いのために駆り出されその後の国交回復も難航を極めたのです。
基本情報
長崎県対馬市厳原町
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